グゼミナシュの息子バランガウド、と彼は名乗っていた。古い方法の名乗りを愛用している理由は、ただ、領主である父親が人族であったから――それだけだ。
バランガウドの母は影に住まう人食い鬼の魔女であったという。俗にいうならばオーク族であるが、バランガウド自身はその呼び名をあまり好まなかった。自らの血が気に食わないわけではない。悪鬼めいた形相と文字通り人離れした身体能力は武将として彼が立つのに何度も役立ってきたし、それが母側の血のもたらしたものだというのは嫌というほど分かっていた。
だが、ここは人の地なのだ――。
人であれ、と父はいい続けていた。お前は化け物の息子であるが、俺の息子でもあるからな、と。
父の言葉は楔のようにバランガウドの心に刺さっていた。誇りであり、鎖であった。
父が醜い母とつがったのは母の母――つまり姑である『山の巨人』が企んだが故。バランガウドの母は輝かしい花嫁の幻影をかぶせられ、姫君と間違えて彼女を連れ出してきた父は、領地一帯の笑いものになった。しきたりにより一度あげた婚礼は取り消せず、そして夜を迎え、バランガウドが生まれたという次第。父は一度バランガウドを殺そうとしたが、『山の巨人』からの報復を恐れ、彼を育てたのだという。
母に会うのは年に二度。心を全ての世界から閉ざした母は、いつも息子をちらりと見ては去って行った。飛び出た牙に暗緑の肌、暗闇を見通す黄金の瞳。時代遅れのドレスガウンは、金銀で飾られていても曲がった背には似合わない。人界に連れてこられた神秘は、ただ醜いだけの存在に貶められていた。
それは、人界に適応出来なかった存在の末路であった。
バランガウドは故に、他の人間よりも人間らしくあろうとしていた。
神殿に通い、祈りを欠かさぬ様は痛々しくすらあった。さいわい領地付きの神官はのんびりとした性格の年経た学者で、バランガウドのことを年の離れたきょうだいのように扱っていた。そうでなければ彼はもっと自罰的な性格に育っていただろう。
勉学に励み、武術に励んだ。十三歳の時初陣を迎え、荒くれ者として悪名高い盗賊騎士の頭を討ち取った。
正々堂々と、誰も非がつけられない正攻法で。
十七の時大食が祟って死んだ父の後を継ぎ、領主となった時には――領地の者達は『前の殿様よりずっと良い』と言い交わしていた位であった。
折しも戦乱の時代。ふがいない人間の領主より半人半鬼の領主の方が頼りになる、と思われたのもあるのだろう。やがて彼は真面目さをやや捨てて、豪放磊落で切れ者の武将として知られるようになり、変わり者の妻を迎え、自分よりも更に人に近い子ども達をもうけた。
父の間違いは犯さぬように、彼なりに、子らを愛した。
そして今、バランガウドは己の槍に結びつけた旗を見ている。黒の大槍に、黒の旗。猪を描いた黄金の紋章。
――俺は後、何度この旗が落ちるのを見る羽目になる?
何度も何度も、戦いは繰り返されていた。それは詩的表現ではなく、文字通りの意味で。
バランガウドの城は何度も何度も日が沈む瞬間に滅びを迎え――次の朝焼けが空を薔薇色に染める瞬間に、最後の一日を再び始めるのであった。
そのことに気付いているのはバランガウド一人のみ。魔の血を引く彼だからこそ、異常に気づけたのか――それとも、この異常を引き起こしている存在が、彼を永遠に苛もうとしているのか。
空が暗くなる。夜が訪れるまで、後一刻もない。
何度もバランガウドは抗い、そして、最後には負ける。しかも、先に逝った友や妻や子らの元へは行けず、永遠に戦い続けるのだ。
敵将がなぜ襲ってきたかも、忘れてしまった。もう、何千年もこれを繰り返している気がする。否、もう既にバランガウドは死んでいて、命を落としているのだろうか。冥府の一角で、終わりなき罰を受けているのだろうか。
実のおじよりも親しかった神学者は、既にいない。故に、問いかける相手を失った彼は孤独に聖典を読み、祈りの言葉を唱えるしかない。
そして、望みのない戦いに出るのだ。
例え繰り返しであろうとも、人間らしく死にたいと。
(しかし、今回の繰り返しは、何かがおかしかった。兵が一人多い――)
窓から中庭を見る。皆同じ装備の兵士達だ。食事を共にし、きょうだいのように良く知っている。だから、違和感があれば気付く――ここに至るまで、気付かなかったのは、相手がよっぽど巧みであったのだろうが。側にいるのは、いつものようでそうでない、護衛が一人。
「お前は誰だ?」
無理矢理ヘルムを脱がせれば、兵士にしては線の細い顔立ちの若者の顔。
「刺客か?」
それにしては迂闊だが、とバランガウドは若者を見る。男とも女とも分からぬ、没個性的な形相の人物であった。
「刺客が来たのは初めてだ。どれ、城が落ちるまで相手をしてやる――」
槍を構えれば、若者はその槍をそっと指で止める。殺気のない滑らかな動きであった。奇妙な位置で力を掛けられた槍は、冗談のように横に押しやられた。
「どこから説明すれば良いのか分からないですが――自己紹介は後にしましょう。この『世界』は奇妙な状態に置かれています。故に、現地協力者としてあなたを選びたかったのですが――時間がない」
「……どういうことだ?」
「文字通りです。日が沈めば、もう一度やり直し――。だから、やり直しの前に、あなたもダーザインに連れて帰る」
「どこまで知っているんだ?」
「原因は知らなくとも、経緯ほどは」
若者は奇妙な装置を動かした。魔術師だろうか。それにしては神秘性の欠片もない存在であったが。
「手を取って下さい、バランガウド卿! 少し目眩がしますが、二日酔いよりましです――」
手を取る。もはや相手が天の使いでも冥府の使者でも悪魔でも刺客でも構わなかった。世界の足下が消える。そして次の瞬間――。
彼は薄青を基調とした、奇妙な部屋に歩み出た。
「間に合いました。蘇るとは言え、死ぬのを何度もは見たくなかったので」
ウッドスタッフです、と若者はいう。色の白い手は、どう見ても人間のそれであった。
「城は? 部下達は?」
「あなたが消失したことで――一旦は、時間が止まったという形でしょうか。それとも次のループで別のあなたが生まれるかも知れませんが」
「俺のせいなのか?」
「いえ、あなたのせいではありませんよ。まあ……貰い事故というのが正しいでしょうなんというか。説明すると相当長くなりますが……」
「端的には話せないのか」
「偉い人が永遠の戦いを望み、あなた方はそれに巻きこまれた。それだけです」
バランガウドは、数歩後ろに下がり、長椅子に腰掛ける。クッションに使われている薄青の皮は触ったことのない手触りで、みょうに座りやすかった。
「わけが分からん」
「世の中は、わけが分からぬことばかりです、卿」
ウッドスタッフと名乗った若者は、そうして肩をすくめる。
バランガウドは窓から外を見た。玻璃の塔が列なるこの地は、一体どこなのか――そもそもウッドスタッフは『何者』なのか。
目眩がした。
「酒をくれ。まずはそれからだ」
この感覚が二日酔いよりはましなものだというならば、人らしく迎え酒で流し込んでしまおう――。
バランガウドはできるだけ豪胆な武将であるように己を演出する。
いつもやっていたのと、同じように。
バランガウドの母は影に住まう人食い鬼の魔女であったという。俗にいうならばオーク族であるが、バランガウド自身はその呼び名をあまり好まなかった。自らの血が気に食わないわけではない。悪鬼めいた形相と文字通り人離れした身体能力は武将として彼が立つのに何度も役立ってきたし、それが母側の血のもたらしたものだというのは嫌というほど分かっていた。
だが、ここは人の地なのだ――。
人であれ、と父はいい続けていた。お前は化け物の息子であるが、俺の息子でもあるからな、と。
父の言葉は楔のようにバランガウドの心に刺さっていた。誇りであり、鎖であった。
父が醜い母とつがったのは母の母――つまり姑である『山の巨人』が企んだが故。バランガウドの母は輝かしい花嫁の幻影をかぶせられ、姫君と間違えて彼女を連れ出してきた父は、領地一帯の笑いものになった。しきたりにより一度あげた婚礼は取り消せず、そして夜を迎え、バランガウドが生まれたという次第。父は一度バランガウドを殺そうとしたが、『山の巨人』からの報復を恐れ、彼を育てたのだという。
母に会うのは年に二度。心を全ての世界から閉ざした母は、いつも息子をちらりと見ては去って行った。飛び出た牙に暗緑の肌、暗闇を見通す黄金の瞳。時代遅れのドレスガウンは、金銀で飾られていても曲がった背には似合わない。人界に連れてこられた神秘は、ただ醜いだけの存在に貶められていた。
それは、人界に適応出来なかった存在の末路であった。
バランガウドは故に、他の人間よりも人間らしくあろうとしていた。
神殿に通い、祈りを欠かさぬ様は痛々しくすらあった。さいわい領地付きの神官はのんびりとした性格の年経た学者で、バランガウドのことを年の離れたきょうだいのように扱っていた。そうでなければ彼はもっと自罰的な性格に育っていただろう。
勉学に励み、武術に励んだ。十三歳の時初陣を迎え、荒くれ者として悪名高い盗賊騎士の頭を討ち取った。
正々堂々と、誰も非がつけられない正攻法で。
十七の時大食が祟って死んだ父の後を継ぎ、領主となった時には――領地の者達は『前の殿様よりずっと良い』と言い交わしていた位であった。
折しも戦乱の時代。ふがいない人間の領主より半人半鬼の領主の方が頼りになる、と思われたのもあるのだろう。やがて彼は真面目さをやや捨てて、豪放磊落で切れ者の武将として知られるようになり、変わり者の妻を迎え、自分よりも更に人に近い子ども達をもうけた。
父の間違いは犯さぬように、彼なりに、子らを愛した。
そして今、バランガウドは己の槍に結びつけた旗を見ている。黒の大槍に、黒の旗。猪を描いた黄金の紋章。
――俺は後、何度この旗が落ちるのを見る羽目になる?
何度も何度も、戦いは繰り返されていた。それは詩的表現ではなく、文字通りの意味で。
バランガウドの城は何度も何度も日が沈む瞬間に滅びを迎え――次の朝焼けが空を薔薇色に染める瞬間に、最後の一日を再び始めるのであった。
そのことに気付いているのはバランガウド一人のみ。魔の血を引く彼だからこそ、異常に気づけたのか――それとも、この異常を引き起こしている存在が、彼を永遠に苛もうとしているのか。
空が暗くなる。夜が訪れるまで、後一刻もない。
何度もバランガウドは抗い、そして、最後には負ける。しかも、先に逝った友や妻や子らの元へは行けず、永遠に戦い続けるのだ。
敵将がなぜ襲ってきたかも、忘れてしまった。もう、何千年もこれを繰り返している気がする。否、もう既にバランガウドは死んでいて、命を落としているのだろうか。冥府の一角で、終わりなき罰を受けているのだろうか。
実のおじよりも親しかった神学者は、既にいない。故に、問いかける相手を失った彼は孤独に聖典を読み、祈りの言葉を唱えるしかない。
そして、望みのない戦いに出るのだ。
例え繰り返しであろうとも、人間らしく死にたいと。
(しかし、今回の繰り返しは、何かがおかしかった。兵が一人多い――)
窓から中庭を見る。皆同じ装備の兵士達だ。食事を共にし、きょうだいのように良く知っている。だから、違和感があれば気付く――ここに至るまで、気付かなかったのは、相手がよっぽど巧みであったのだろうが。側にいるのは、いつものようでそうでない、護衛が一人。
「お前は誰だ?」
無理矢理ヘルムを脱がせれば、兵士にしては線の細い顔立ちの若者の顔。
「刺客か?」
それにしては迂闊だが、とバランガウドは若者を見る。男とも女とも分からぬ、没個性的な形相の人物であった。
「刺客が来たのは初めてだ。どれ、城が落ちるまで相手をしてやる――」
槍を構えれば、若者はその槍をそっと指で止める。殺気のない滑らかな動きであった。奇妙な位置で力を掛けられた槍は、冗談のように横に押しやられた。
「どこから説明すれば良いのか分からないですが――自己紹介は後にしましょう。この『世界』は奇妙な状態に置かれています。故に、現地協力者としてあなたを選びたかったのですが――時間がない」
「……どういうことだ?」
「文字通りです。日が沈めば、もう一度やり直し――。だから、やり直しの前に、あなたもダーザインに連れて帰る」
「どこまで知っているんだ?」
「原因は知らなくとも、経緯ほどは」
若者は奇妙な装置を動かした。魔術師だろうか。それにしては神秘性の欠片もない存在であったが。
「手を取って下さい、バランガウド卿! 少し目眩がしますが、二日酔いよりましです――」
手を取る。もはや相手が天の使いでも冥府の使者でも悪魔でも刺客でも構わなかった。世界の足下が消える。そして次の瞬間――。
彼は薄青を基調とした、奇妙な部屋に歩み出た。
「間に合いました。蘇るとは言え、死ぬのを何度もは見たくなかったので」
ウッドスタッフです、と若者はいう。色の白い手は、どう見ても人間のそれであった。
「城は? 部下達は?」
「あなたが消失したことで――一旦は、時間が止まったという形でしょうか。それとも次のループで別のあなたが生まれるかも知れませんが」
「俺のせいなのか?」
「いえ、あなたのせいではありませんよ。まあ……貰い事故というのが正しいでしょうなんというか。説明すると相当長くなりますが……」
「端的には話せないのか」
「偉い人が永遠の戦いを望み、あなた方はそれに巻きこまれた。それだけです」
バランガウドは、数歩後ろに下がり、長椅子に腰掛ける。クッションに使われている薄青の皮は触ったことのない手触りで、みょうに座りやすかった。
「わけが分からん」
「世の中は、わけが分からぬことばかりです、卿」
ウッドスタッフと名乗った若者は、そうして肩をすくめる。
バランガウドは窓から外を見た。玻璃の塔が列なるこの地は、一体どこなのか――そもそもウッドスタッフは『何者』なのか。
目眩がした。
「酒をくれ。まずはそれからだ」
この感覚が二日酔いよりはましなものだというならば、人らしく迎え酒で流し込んでしまおう――。
バランガウドはできるだけ豪胆な武将であるように己を演出する。
いつもやっていたのと、同じように。